なぜ皇帝は真鍮を選んだのか ─ 故宮の印章に見る素材の力 | Brass Note

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なぜ皇帝は真鍮を選んだのか ─ 故宮の印章に見る素材の力

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「印章」は、ただのハンコではありません。中国においては、古代から人の「権威」や「存在」を物語る象徴的な道具として重んじられてきました。特に皇帝が使う印章は、統治の正統性を示す神聖な器物として扱われ、「璽(し)」や「宝」といった名で呼ばれてきました。

こうした中、北京・故宮博物院に所蔵されている膨大な印章コレクションのなかに、ひときわ目を引くものがあります。それが「黄銅」、つまり真鍮製の印章です。

金色に輝くこの素材は、青銅よりもやや柔らかく、彫刻に適した性質をもっています。細密な線を刻むのに最適で、篆書による印文を美しく表現するのに適していました。そして、その“微細な力”を表現するために、真鍮は選ばれていたのです。

真鍮印章は、公的な璽印ではなく、皇帝が私的な文書や個人的な趣味の中で使用した印です。そこには権力の誇示ではなく、品格や知性、繊細さが求められました。真鍮という素材が、そうした精神性と非常に相性が良かったのだと感じています。

古代中国の皇帝の真鍮製印章

故宮に残る真鍮製の印章とは

清朝を中心とした時代、皇帝や王族は数多くの印章を使い分けていました。ひとりの皇帝が所有していた印章の数は数百とも言われ、その中には公式用途から私的用途までさまざまな種類が含まれています。

そのなかでも「黄銅」で鋳造された印章は、極めて個人的な領域で使用されたと考えられており、実用性と審美性の両立が求められたものでした。

真鍮という素材の扱いやすさ

日々、真鍮に向き合っていて感じるのは、力の入れ加減ひとつで表情が変わる素材だということです。硬すぎず、削りすぎることもない。彫刻刀が少し入り込むと、スッと抵抗なく切れていく、その感触は非常に繊細です。

私が日々真鍮に触れるなかで感じるのは、加工によって現れる細かな表情の違いです。手作業で刻まれた線が光を受けて浮かび上がる様子や、研磨の痕跡がわずかに残ることで、素材に生きた質感が宿ります。chicoriの表札でも、無塗装の真鍮が持つこの自然な凹凸や陰影が、控えめで美しい存在感を生み出していると感じています。

皇帝の私印に宿る“静かな権威”

真鍮製の印章は、一般に見られる公式な璽印のような威圧感はありません。金属光沢はあるものの、黄金とは異なる柔らかさを持ち、見た目にもどこか落ち着いた印象があります。それがかえって、「静かな権威」や「品の良さ」といったイメージを強調していたように思います。

素材が語る「控えめな威厳」

皇帝の私印の多くは、四角や丸の基礎形状をもちながら、控えめな龍や鳳凰、時には自然をモチーフとした装飾が施されていました。過剰な装飾を避け、素材そのものの美しさと、彫りの正確さに価値を置いていたことがわかります。

真鍮の金色は、光沢がやや控えめで、光の角度によって表情を変えます。そのため、手に取ると、装飾ではなく“素材の静けさ”が真っ先に目に入るのです。

皇帝の審美眼と真鍮の相性

中国皇帝は、単なる政治家ではなく、詩や書、篆刻などをたしなむ文化人でもありました。その感性にふさわしい素材として、真鍮は「柔と剛」「静と動」を併せ持った理想的な金属だったといえるでしょう。

個人的な印章にわざわざ真鍮を選ぶという行為には、自己を律し、節度を保ちつつも、美を追い求める皇帝の姿勢が表れているように感じられます。

真鍮が担ってきた文化的役割

真鍮は、歴史を通じて多様な用途で人々に親しまれてきました。その理由は、加工のしやすさと、時間とともに味わい深く変化する特性にあります。

実用品を超える「素材の物語性」

印章に限らず、中国では真鍮が香炉や筆架、文鎮など、文房四宝の素材としても好まれてきました。そこには、実用一辺倒ではない「趣」の感覚が息づいています。

たとえば、香炉の縁にうっすらと指の跡が残るように、真鍮は使い手との対話を重ねながら深みを増す金属です。その変化は、単に劣化ではなく、「時間が刻まれる」ことそのものが価値となります。

私自身、表札の製作においてこの変化を何度も目の当たりにしています。取り付けから数ヶ月、数年と経つうちに、色合いや質感が深まっていく様子は、自然素材のようなぬくもりを感じさせます。

現代の暮らしに息づく“静かな美”

こうした素材の特性は、現代においても変わらず求められています。とりわけ、家の顔ともいえる表札においては、控えめで落ち着いた存在感が大切です。

chicoriの真鍮表札は、まさにこの“静かな美”を表現したものです。無塗装で仕上げることで、素材そのものの質感や経年変化を楽しめるようにしています。これは、真鍮の印章が放っていた「時間と共に熟する美しさ」に通じるものがあります。

まとめ

中国・故宮に残された「黄銅印章」は、真鍮という素材の持つ奥深さを再確認させてくれる存在です。それは単なる印ではなく、文化と美意識、精神性が刻み込まれた工芸品でした。

そして、その価値観は、私たちが日々手がけている真鍮表札にも重なります。主張しすぎず、それでいて確かな存在感を放つ。時間と共に味わいが深まり、使い手の暮らしに寄り添う。そうした真鍮の魅力は、今も昔も変わることなく、人の心を静かに惹きつけていると実感しています。


 

この記事の著者

葛 西

1977年生まれ。幼少期を家業の看板屋の工場で過ごし、真鍮の経年変化の魅力の虜に。美術大学卒業後に実家の看板屋へ。10年間勤務後、洋服のセレクトショップ「chicori」を開業し、その中でオリジナル商品の真鍮表札の製造販売を始める。2023年より真鍮表札専門店として新たに歩み始める。妻と娘、息子の4人家族。最近ギターを習い始める。真鍮のように時を重ねる楽しさを届けたい。

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