鼻だけが輝く理由──フィレンツェのポルチェリーノ像と真鍮の経年美化
イタリア・フィレンツェの旧市街、石畳の広場にたたずむ「ポルチェリーノ像」。
この子イノシシの像は、鼻先を撫でると再びフィレンツェを訪れることができるという言い伝えとともに、世界中の旅行者に愛されています。
長年にわたり雨風にさらされてきたブロンズ(青銅)製の像は、全体が渋い褐色に変化している一方で、観光客が触れる鼻先だけは金色のように輝いています。
この強いコントラストは、金属の「経年変化」が生む美しさを端的に示しており、真鍮にも通じる魅力を感じさせます。

フィレンツェの子イノシシ像に見る、金属が育つ経年変化の美しさ
古都フィレンツェの歴史的な街並みに佇むポルチェリーノ像は、まさに「経年美化」の象徴とも言える存在です。
ブロンズ(青銅)で鋳造されたこの像は、時とともに変化した表面が美しい風合いを見せており、とりわけ触れられた鼻先だけが光り輝いています。
この現象は、真鍮と同様に、金属が時間と環境に応じて表情を変えるという性質によるものです。
「ポルチェリーノ像」とは何か
ポルチェリーノ(Porcellino)はイタリア語で「子イノシシ」の意味。
像はフィレンツェの旧市街、メルカート・ヌオーヴォ(新市場)の一角に設置されており、17世紀にブロンズ(青銅)で鋳造されました。
モデルとなったのは、古代ローマ時代の大理石像です。
この像には、「鼻を撫でてコインを投げ込めば願いが叶い、再びこの地を訪れることができる」という言い伝えがあります。
こうした逸話とともに、ポルチェリーノ像は時を超えて人々の記憶に残る存在となっています。
青銅と真鍮──似て非なる金属の美しさ
ポルチェリーノ像はブロンズ(青銅)で作られています。
青銅は主に銅とスズの合金で、古代から彫刻や工芸品、仏具などに使われてきました。
深い褐色や緑青(ろくしょう)と呼ばれる青緑色の酸化膜が生じやすく、落ち着いた重厚な印象を持つのが特徴です。
一方、真鍮は銅と亜鉛の合金で、より黄色味を帯びた明るい金属光沢があり、柔らかく加工しやすいため、日用品や建築金物、表札などにも広く用いられています。
どちらも酸化による経年変化を楽しめる素材ですが、その風合いと用途には明確な違いがあります。
真鍮と銅、青銅の違いや特徴についてより詳しくは、以下の記事でも解説しています。
→ 真鍮と銅、どう違う?素材の特徴・見た目・使われ方をわかりやすく解説
人と時間がつくる、金属の風合い
金属は、磨かれた新品の姿だけが美しいわけではありません。
時間とともに酸化し、変化することで、むしろ味わいが増していきます。
これは経年劣化ではなく「経年美化」。
ポルチェリーノ像はそのことを私たちに強く印象づけてくれます。
酸化が生む深みと存在感
青銅も真鍮も、時間が経つと酸化によって表面に皮膜が形成されます。
これは緑青(ろくしょう)と呼ばれることもあり、特に青銅では青緑色になることが多く、真鍮では落ち着いた褐色〜黒褐色へと変化していきます。
この変化は、表面に厚みや深みを加えるだけでなく、素材としての「歴史」や「記憶」を感じさせるものでもあります。真新しい光沢とは異なる、しっとりとした品格がそこには宿っています。
触れることで磨かれる──人との関係性
ポルチェリーノ像の鼻先が光っている理由は、数えきれないほど多くの人がそこに触れ続けてきたからです。
この「摩擦による光沢」は、金属の酸化膜が削れ、内部の地金が露出することによって生まれます。
この現象は真鍮にも同じように起こります。
頻繁に触れる部分だけが磨かれ、金色のような光沢が戻ってくる。
つまり、金属はただ変化するだけでなく、「使う人」との関係の中で独自の美しさを育てていくのです。
ポルチェリーノ像が教えてくれる、真鍮表札の可能性
ポルチェリーノ像に触れることで、金属が経年変化によっていかに豊かな表情を見せるかを実感できます。
そしてこの美しさは、私たちの日常に取り入れられる真鍮表札にも通じるものがあります。
chicoriの真鍮表札が大切にしていること
chicoriの真鍮表札は、無塗装・無着色の素地仕上げにこだわっています。
これは、真鍮が持つ本来の色味と、時間とともに変化する自然な風合いを最大限に活かすためです。
使い込むことでしっとりとした質感になり、家の佇まいとともに落ち着いた存在感を持ち始めます。
表札は家の「顔」となる部分ですが、派手に主張せず、静かに年月を重ねていく姿勢は、まさにポルチェリーノ像が語る経年美化の精神と重なります。
暮らしとともに育つ表情
我が家でもchicoriの真鍮表札を取り入れてから3年が経ちました。
設置当初は明るく黄味がかった金属光沢がありましたが、今では雨や雪など自然の影響を受け、深みのある落ち着いた風合いへと変化しています。
日々の暮らしに静かに寄り添いながら、少しずつ表情を変えていく真鍮には、「時間が育てる美しさ」が確かに宿っていると実感します。
触れなくても、環境との関わりの中で金属は静かに育っていくのです。
その姿を見るたび、「この表情は我が家の時間そのものだ」と感じます。
ポルチェリーノ像と同じく、金属が人と共に生きる素材であることを日々教えてくれます。
まとめ
フィレンツェのポルチェリーノ像は、金属が時間と人の手によって美しく変化していく様を見事に示してくれています。
その姿は、真鍮という素材の本質と深く通じています。
chicoriの真鍮表札もまた、使い手の暮らしとともに表情を変え、育ち、家と共に歴史を重ねていく存在です。
経年変化は、素材が時の流れを受け入れながら成長していく証です。
その美しさを感じられる暮らしには、静かな豊かさがあります。